資産の承継は、文化の承継だ。

承継といっても、単なる財産配分ではない。

承継する側(被承継人)からして、なぜ承継しづらく、そのまま法定相続か

国庫への寄付となりがちなのかといえば、

それらが単なる財産的な意味合いではないからです。

承継される側(承継人)にとってみても承継されて素直に喜べないのは

管理の手間が非常にかかるからです。

ここ40年ではほとんど核家族化が進みましたし、

ライフスタイルが大きく変わったことで地元や地元社会に今さら馴染めないといった

本音が出てきます。

しかしどちらからしてもそれらは資産の承継とは文化の承継であると考えると

非常に事態の説明が簡単なのです。

文化という言葉が既にその意味を失い欠けている。

文化の承継といっても、文化そのものの定義が先ず迷子になっています。

なぜなら文化というのは風土から生まれるものであって、

その土地の風土に根付くものだからです。

土地に根付くという発想すら失われつつある今、

文化という言葉自体が意味を為していません。

そういう観点から云えば、承継そのものを「文化」の目線から切り直すことが

承継そのものの全体像をよりはっきりと映像化させてくれるのではないか?

という着想から、HASKAの承継コンサルティングは

「文化承継デザイン事業」という概念に切り替えています。

不動産ではない。それは街づくり、国づくりなのだ。

数ある誤解の中に、不動産はブローカーだという誤解があります。

確かにそういった業務も範疇には含まれますが、

単に仲介をすることが目的ならば業として継続することにさして意味はありません。

なぜならそれは単に経費として消費され、

循環する経済価値の一部でしかなくなってしまうからです。

しかし、経済価値とは蓄積保存して

時間経過に結び付いた時にこそ最終的な意味を為します。

だから、仮にもし不動産業が「街づくり」に匹敵するならば、

非常に意義深い事業だと私たちは考えます。

それは未来につながり、次にこの地に足をつける人たちが享受する価値を生み出し

そしてそれらを保存することができるからです。

100年以上続いたら、それは「価値」だ。

物質は常にその形を変容しています。

私たちの身体でさえ、8年もすれば細胞のほとんどが入れ替わり、別人になっています。

にも拘わらず、その場その場を同じ「場」と認識できるのは

人間の記憶の為せる業と言えるでしょう。

云わば、人間の記憶が「場」を形成しているわけです。

ではなぜ100年以上も残り続ける「場」があるのでしょうか。

それは記憶から記憶へと、橋を架けていく人たちがそこに存在するからです。

ポンペイでさえもそこにポンペイがあったのだという人がいるから

そこにポンペイがあると認識できるわけで、

その橋を架ける人がいなくなれば、その「場」は認識から疎外されていくだけです。

では、その橋を架ける原動力はなんでしょう?

恐らくそれは財産目録にも載らないような無形価値というべきもので

実態はあるが明文化が最も難しい科目であると私たちは考えています。

それは、その場に思いとどまろうとする決意であったり

あるいはそこにいたということの証かもしれません。

不動産業態というのは単に有形資産だけでは減価償却するだけです。

つまり、土地以外は最後は1円の備忘価値しかのこりません。

土地も、誰かが勝手に決めたものであり決して絶対のものではありません。

あくまで相対的価値です。

その相対価値が文化なのであり、文化が経済価値を下支えしているのです。